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仙台高等裁判所 昭和42年(う)343号 判決

被告人 鳥谷部明雄

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人祝部啓一名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意(事実誤認および法令適用の誤り)について

所論は要するに、原判決は、被告人が原判示の日時に普通貨物自動車を運転して、十和田市の通称西裏通りを南から北に向つて進行し、同市稲生町一三番二六号の通称官庁街通りとの交差点に進入する際一旦停車したが、その際右官庁街通りを東進してきた小型四輪自動車が右折の方向指示をしながら交差点で一旦停止し、西裏通りを北進して来て右交差点を直進する被告人の対向車を先行させたため、被告人は北進のため発車し右交差点に進入した際、右官庁街通りを西進して来る二人乗りの原動機付自転車を右方約二九メートルの地点に認めたのであるから、右自転車が右折方向指示をしていた右自動車の通過後その背後を西進して来ることもあり得ることを予見し、右自転車の動静に充分注意し、いつでも停車の措置をとり得るよう万全の注意をもつて進行すべき業務上の注意義務があるものと認定し、被告人が、右自転車が交差点に進入前、一旦停止し、被告人の車を通過させた後、進入するものと軽信し、右自転車の動静に注意しなかつた過失があるとなし、被告人の車と右自転車との衝突による被害者桜田卓己の死亡および同桜田通一の負傷につき被告人に対し業務上過失致死傷罪をもつて問擬したが、被告人にはそのような注意義務はなく何等の過失もないのであり、また被告人が発進した際には、右折の方向指示をしながら一旦停止していた前記の車および対向車に遮られて右自転車の動静を目撃し得ない状況下にあつたのであるから、被告人には原判示の如き予見につき期待可能性がないものというべく、結局無罪たるべきものを有罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな、事実誤認ひいては法令適用の誤りがあり、破棄を免れない、というにある。

よつて審按するに、原審の取調べた各証拠に当審の、検証調書、証人瀬川清悦、同平井清治、同村木敏雄に対する各尋問調書および被告人の当審公判廷における供述を総合すれば、次の事実を認めることができる。すなわち、

被告人は、十和田市稲生町所在の合資会社江藤農事商会の販売員であり、農機具の販売のため、同会社所有の小型四輪貨物自動車を業務上運転するものであること、昭和四〇年九月二八日午後一時近く右自動車を運転して用事を終えた後、右会社へ帰るため、午後一時頃、同市の通称西裏通りを北進し、同町一三番二六号付近の通称官庁街通りとの交差点に到り、その直前において一旦停止したこと、同所は前示のとおり南北に通ずる西裏通りと東西に通ずる官庁街通りとの十字路の交差点であり、見透しの効かないのは、西裏通りの北側交差点のみで、他の交差点の見透しはいずれも効き、かつ、西裏通りは幅員一一メートルの非舗装道路であり、官庁街通りの東側交差点以東は幅員一一メートルのコンクリート舗装の車道とその両側に幅員三・八メートルの歩道があるが、西側交差点以西は、幅員一一メートルのコンクリート舗装の車道の両側各八メートルの間が道路工事中で通行不能であり、かつ同所は交通整理の行なわれていない交差点であること、被告人が前示のとおり一旦停止した際、右方向の官庁街通りを西進して来た平井清治の運転する小型四輪自動車がウインカーにより右折の方向指示をしながら交差点直前、道路中央線付近において一旦停止したのを認め、さらにその際、その右後方で被告人の位置から約二九メートル付近を二人乗りの原動機付自転車が時速約三〇キロメートルの速度で西進して来るのを認め、さらにその後、西裏通りを南進して来た村木敏雄の運転する対向車、小型四輪自動車が北側交差点直前において一旦停止したのを認めたこと、ところが右折の方向指示をしながら一旦停止していた右平井が右村木に対し手で先に通過するよう合図をしたため、村木は南進を開始したが、被告人は対向車である村木の自動車が発進したのを見て自らも北進を開始して時約速一〇キロメートルの速度で交差点に進入し、間もなく村木の自動車と擦れ違いをなして進行したが、その直後、先に被告人が、右折の方向指示をしながら一旦停止した平井の自動車の進路右後方を進行して来るのを目撃した二人乗りの前記自転車が、平井の自動車の左側に進路を変え、東側交差点入口において一時停止をすることなく西進して来たため、交差点のほぼ中心付近において、自車の右前部と右自転車とが衝突し、そのため右自転車を運転していた桜田卓己(当時五八才)およびその同乗者桜田通一(当時六才)の両名がその場に転倒し、よつて右桜田卓己は脳底骨折、頭蓋内出血のため翌二九日午前七時一〇分頃、同町一三番二六号益川外科病院において死亡するに至り、右桜田通一は加療約一カ月を要する頭部打撲傷、脳震盪等の傷害を負うに至つたことがそれぞれ認められるのである。そして前認定の事実からすれば、右十字路において交差する西裏通り道路と官庁街通り道路とは、そのいずれが優先道路であるとも認め難いところである。してみれば官庁街通りを西進して来て、西裏通り道路を北進して来てすでに交差点に入つている被告人よりも遅れて前示交差点に入ろうとする右自転車は、被告人の車両の進行を妨げてはならないことは、道路交通法三五条一項の規定上明らかなところである。また右自転車を運転する桜田卓己としては、前示東側交差点に到る前、自己の進路前方の交差点において、平井の運転する自動車が右折の方向指示をしながら一旦停止しており、かつ平井が右方交差点に停止していた村木の自動車に対して先に通過するよう合図をなしていることは勿論のこと、自己より先に被告人の運転する自動車が南側交差点に入ろうとしていることは充分これを認識し得たはずであり、したがつて被告人の運転する自動車の進行を妨げないよう、当該交差点入口において一旦停車して被告人に進路を譲るべきであつたものといわなければならず、被告人としては、被害者桜田卓己の運転する右自転車が、当該交差点入口において、一旦停止をせずに被告人よりも高速度で交差点に進入して来たのを目撃したというのならばともかく、自己が先に南側交差点に入ろうとし、かつ右方約二九メートル後方を交差点に向つて進行して来る自転車を認め、当該交差点において一旦停止してくれるものと信じたとしても無理からぬことであり、右自転車が、平井の運転する自動車の背後を一旦停止することなく西進して来ることまでも予測し、これに対処する措置を講ずべき注意義務はないというべきである。これを要するに、本件事故は、むしろ被害者桜田卓己の一方的過失によつて発生したものというべく、被告人の本件自動車の運転措置は何等注意義務を怠つたものとは認められない。原審の証人桜田タニに対する尋問調書によれば、桜田卓己は、益川外科病院に入院中、「若い者が一時停止もしないで馬鹿野郎」と二回繰り返して話したことが認められるが、右発言は、一時の感情により自己の過失を被告人に転嫁するものといわざるを得ない。もつとも被告人の司法警察員に対する供述調書中には「右側から進行していた第二種バイクの動向に注意しなかつたことについては私も不注意であつた。」旨、また検察官に対する供述調書中には、「発車前に左側道路の安全を確認しただけで右方の安全を確認しないまま発車したところに過失があつたと思う。」旨自己に過失があつたことを自認するが如き記載があるが、これらは、単に後に至つて当時を考え、かくもすれば本件事故は避け得たであろうとの感想を述べたにとどまり、これをもつて直ちに被告人の過失をそのまま認めるわけにはいかない。してみれば、被告人の過失を認定し有罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるというべきであるから、他の判断を待つまでもなく原判決は到底破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により、原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但書により、当裁判所はさらに次のとおり判決する。

本件公訴事実は、「被告人は自動車運転者であるが、昭和四〇年九月二八日午後一時頃、普通貨物自動車を運転し、十和田市内通称西裏通りを南から北に向つて進行し、稲生町一三番二六号交通整理の行なわれていない交差点の直前で一旦停止した際右側道路約二九メートルの距離に桜田卓己(当時五八才)が桜田通一(昭和三三年一一月一七日生)を乗車させ原動機付自転車を運転して交差点に向つて進行して来るのを認めながら交差点進入前一旦停止するものと軽信し同人の動静に注意することなく発車した過失により交差点の中心点付近において、同車右前部と右原動機付自転車左側とを衝突させ、よつて前記卓己を脳底骨折兼頭蓋内出血のため翌二九日午後七時一〇分、同市稲生町益川外科病院において死亡させ、前記通一に対し頭部打撲傷兼脳震盪症等二週間加療を要する傷害を負わせたものである。」というのであるが、前認定のとおり、被告人には何等の過失もないものといわなければならず、結局犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をなすべきである。よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 矢部孝 佐藤幸太郎 阿部市郎右)

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